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令和6年 師走祭りの開催について

令和6年の師走祭りにつきまして、下記の日程で開催します。

令和6年1月19日(金)~1月21日(日)

詳細については美郷町HPにてご確認ください。
https://www.town.miyazaki-misato.lg.jp/kiji003945/index.html

師走祭りは、旧暦12月14日から同16日(現在は1月下旬の金、土、日の3日間)に当たる日程(昭和10年代までは9泊10日間の日程で行われていた)で、比木神社(児湯郡木城町鎮座)の一行がフクロガミ(袋神、花笠ともいう)を奉じて、延々約23里におよぶ決まりの道を神門神社(東臼杵郡美郷町南郷)まで巡行し、そこに滞在して帰る全国的にも極めて珍しい形式の祭りです。
それには往古、異国神(百済王の一族)がこの地に定着したとする由来伝説が語り継がれています。
神門神社に向かう「上りまし」にはお旅所に待ち受ける人々や沿道の篤信者は、フクロガミのふくらみ方や色合いによって年占をなしたほか、大根・にんじんなどの収穫物をフクロガミ巡行の路上に姿を表さないで差し出して置いたり、地区挙げて篝火をたいて迎えるなど、種々の習俗が伝えられています。
また、一行が帰路につく「下りまし」の際には、オサラバと称して、ヘグロ(墨)を顔に塗り、ショウケ(竹で編んだ笊)などを振って送る慣わしも見られるなど、この祭りには、地域住民の素朴な信仰形態が見られます。

美郷町内における主な祭典・行事(※時間は目安です)

(1日目 15時頃)祭典・直会(なおらい)

次男の「華智(かち)王」を祀る日向市東郷の伊佐賀神社で合流した神門の父王「禎嘉(ていか)王」と長男の「福智(ふくち)王」は神門一行を先頭に“塚の原古墳”へ。神門の村人の出迎えを受け、直会の後に出発。敵の目をくらます為、野に火を放つ。

(1日目 17時頃) みそぎ

日向市金が浜でみそぎをして、神門で迎え火に行く前に再度みそぎを行う。神門神社の見えるこの位置から神社を遥拝する形で祭典が行われる。
みそぎには、道中の旅で取りついた悪霊を落とし、身を清める役目があるともいわれている。

(1日目 18時頃)迎え火

師走祭りの大きな見どころとなる「迎え火」。高さ約5m 30基近くの燃え盛る櫓(やぐら)は圧巻。
行列は両脇に燃え盛る櫓の道中を神門神社に向けて進んで行く。
神門の地主への挨拶の意味が込められている。

(2日目 12時頃)神楽道具作り・昼食

神門・比木の両神社の宮司のみが神門神社本殿に入り、お衣替えが行われる。
お衣替え後に夜神楽の道具準備を行った後に昼食。
昔より昼食は餅のみと決まっている。

(2日目 15時頃)ドンタロ祭

神門神社裏にあるドンタロ塚にて神事。
禎嘉(ていか)王を助けた地元王族である“ドンタロ”さんへのお礼といわれている祭り。

(2日目 16時頃)洗濯行事・野焼き・石塚への石運び

禎嘉(ていか)王の衣類を洗濯したといわれる行事、その際に川の土手一面の枯草に火を放つ。
その後、一行はみな石を2つづつ持って、石塚へ運んでいく。数百年続く行事だが、一向に石が増えない石塚ともいわれている。

(2日目 19時頃から)夜神楽

笹竹葺きに3隅のいろりを配した神楽御神屋で、夜神楽(高鍋神楽)18番が舞われる。
優美、優雅なものから、ユーモラスなものまで多彩。

(3日目 10時30分頃)お別れ式

お別れの食事。親善の鯛の塩焼きを箸でまわしながら食する。
鯛は昔より貴重で贅沢なものであったことの名残。

(3日目 11時頃)へグロ塗り

別れの悲しみから流れる涙を隠すために、窯にできた炭(ヘグロ)を塗ったとされている。
以前は衣装が白色であることから、白の塗料を塗った時期があるともいわれている。

(3日目 11時30頃)お別れ行事

福智(ふくち)王が比木神社へ帰る時。“くだりまし”と呼ばれ、比木神社側が先頭に出発する。婦人達は料理をしている途中で急いで呼ばれることから、炊事道具を手に「オサラバー」と言いながら見送る。
オサラバーとは韓国語の“サラボジャー”から来ていると伝えられており、「生きて再び会いましょう」という意味が込められている。

紹介動画

千三百年の伝統と絆 師走祭り(平成22年 日向商工会議所制作 ※音声が流れます)

ドローン空撮による映像(2019年撮影)

御神幸行列

禊ぎ

迎え火

パンフレット

令和6年 師走まつりパンフレット表
令和6年 師走まつりパンフレット裏

お問い合わせ先

師走祭り実行委員会  TEL 0982-59-1600
(美郷町役場 南郷地域課)

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